桜記第2章

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」


古今和歌集に歌われた平安時代きってのプレーボーイ
在原業平」の作である。

今年のはこの歌の趣きより更に呆気なく終わろうとしている。


京都は4月に入り連日の雨模様、しかも一日中降り続く天気に
花見客が雨の谷間にドオッーと集中、祇園界隈はかつて見た
こともない群衆で溢れ、長く暮らしてきた近隣の住民も困惑
気味である。


この空前の京都ブームに観光客相手の店では思いもかけない
外国人の来訪と爆買に思わず笑みがこぼれる場面にも出くわ
すが、多くは渋滞と大声でおしゃべりする中国人客に顔を
しかめる。


日本の景気は日銀の掛け声の割にはパッとしない日が続いて
いる。このブームが景気刺激となって将来に期待の持てる強い
日本に立ち戻って欲しいものである。


ぎをん齋藤も4月1日から春の展示会を1週間開いているが前述
の雨に祟られて担当者は頭を抱えて空を恨めしげに眺める。
しかし私的には夏物を一堂に展示して自己反省ができる機会
なので、そう落胆してはいない。


この歳になると正直言って一喜一憂しなくなったと自覚する。
目先の細事より目指すに邁進して今年の桜のように惜しま
れながら散るのが本望である。


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気になる一本の桜樹

今年のはあっけなく満開になり、まだかまだかと待ち焦が
れる暇もなかった。肌寒い日が続くと思っていたら急に20度
を超える初夏の陽気に私の身体も春の準備が出来ないまま
日課ジョギングに出かけてみると、一晩で歩道の桜が咲き
始めていた。



その中に気になる一本の老桜がある。まだ満開前だという
のに沢山の花弁が根元からポトリと落花している、しかも
花弁は開いたまま。


盛りを謳歌することもなく落花するこの樹に無情の哀れを
感じて足を止め繁々と樹を眺める。



この症状は今年に限ったことではないとその時気がついた、
確か去年もこの樹の下に沢山の額のついた花が散乱して
いた。生物学的には遺伝子のせいだとしても本人は悲しく
ないのだろうか?


花の盛りが短いのは西行の和歌を待つまでもなく、一雨
来れば雪の如く薄ピンクの花びらが道一面を覆う。


人の命も永いようで短いと初老を過ぎれば感じてしまうが、私
骨髄移植を受ける前、医師から聞かされたインフォームド
コンセントで術後5年の生存率10%と宣告され、命の儚さを
知らされた。


桜樹への哀愁は自分への哀れだろうか。



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お詫び

昨日までの東京展で初めてお会いするお客様を不愉快に
させてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいである。


事の発端はお手持ちのきものに合うを選んでほしいという
相談であった。
拝見すると当店で染めたものではないが、古典柄をイメージ
させる訪問着で色使いは私の色彩感覚からするとモダンな
色調のものであった。


一目見て当社の帯との組み合わせは難しいと直感したが、
折角会場まで足を運んできものを持って来られたのだから
一応組み合わせのセオリーをお話ししたつもりだが、それ
がお気に召さなかったようで憤慨して帰ってしまわれた。


正直に言って他で作られた特に染きものと、ぎをん齋藤の帯
をピッタリ合わせるのは難しい。
「絵のタッチが違う」「色調が違う」「テイストが違う」卑近な例
で例えれば生まれも育ちも違う男女が一緒になるのと似て、
元々うまく行くはずがない。


結婚生活は理性と妥協と相性で持続させることが出来るが、
帯やきものにはそんな主体的意志はない。
茶道具の取り合わせの場合はそれぞれを並立させて眺める
ので、きものと帯のように一体化させるのとは違う。


私の弁解は兎も角、率直にお詫び申し上げます。



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愛しのフィレンツェ

息子がイタリアから無事帰国して報告を受ける。一番驚いた
のはフィレンツェの近況であった。この十数年で街の様子が
すっかり変わってしまったという。


京都を連想させる歴史ある街並みと堂々と流れるアルノ川
鴨川のイメージへと重なる。サンタマリア デル フィオーレ
デュオモは相変わらずフィレンツェに輝くダイヤモンドであり
続けているらしいが、石畳の両側に建ち並んでいた小さい
宝石のような可愛い店の輝きが無いらしい。


一部はシャッター通りと化し一部はブランド店に変貌した
という。原因は統一通貨ユーロの施行によって物価が高く
なり割安感があったリラの魅力が無くなったことであろう
と彼は言う。


陽気で人懐っこく遊び好きのイタリア人気質は独仏中心の
ユーロ世界に呑み込まれたのか、いや、まだ発展途上の
ユーロ圏の産みの苦しみなのか。


個人的にはあの往年のフィレンツェに戻ってほしいと願って
いる。兎に角、無事に目当ての物を探し出し、輸入の準備
に追われている。



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食器が面白くない

最近大流行の真白大きめの食器には飽き飽きさせられる。


確かに何を盛ってもそれなりに合っているようだが、言葉を
返せばどれも合ってないということだ。


さらに穿った見方をして店側に立てば、欠けたり割れたり
しがちな営業用食器を1枚づつ補充できるとなれば、利益
にメリットがある事も理解できる。


しかしそれでいいのか?
日本人の食文化はもっと高度なものであったはずだ。
食材と食器を料理人の感性季節を生かして取り合わせ
舌で味わうまでに視覚で楽しむ文化があったはずだ。


北大路魯山人が目指したものは料理を美味しく食べるため
に自ら焼物を考案することだった。
贅沢な要求だということは重々承知しているが、薄っぺらな
合理性の中で繊細な美意識が崩れていくことを嘆いている。


そもそも日本の陶磁器の発展は茶道の普及と料理の隆盛に
支えられてきた事実を忘れてはならない。


文化が衰退していくのを時代のせいにするのは簡単だが、
深い贅沢の中に高度なを見出すことを怠れば日本人の
文化力は低下する。



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イタリアへ

当社の役員でもあり私の次男である息子がイタリアへ出張
する為10日間ほど留守にすることになった。


彼は若い頃フィレンツェ修復を学ぶ為に留学し、最終的
にはウフィツィ美術館で働いたキャリアがあり、言葉には
不自由はしないらしい。


出張の目的はイタリア製の金具を買い入れるのが主である
が、同時に齋藤織物で製作した布でイタリア人にバッグ
デザインさせる為でもある。

ハンドバックなどに必要な金具類はさすがにフィレンツェ
ジェノバは本場である。あの「GUCCI」もフィレンツェが本店
で独創的なバッグを作り出している。


彼らの得意とするマテリアルはだが最高級な西陣
見るのはおそらく初めてではなかろうか。私の製作した
布をどう評価し、どう形にするか楽しみである。


今や世界の審美眼は平準化されていると思う。味覚、音楽、
美術など先進文明地域における評価に差はない。


美意識の高さでは歴史の長い彼らに一日の長があるが、
繊細さでは我々日本人が一枚上手だと信じている。



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御礼

先日ホームページにアップしたばかりのコーディネート品が、
あっと言う間にお買い上げとなった。トップバッターとして登場
した私は社員に面目躍如ができて鼻高々である。


お買い上げ頂いたO様に心より御礼申し上げます。




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