食器が面白くない
最近大流行の真白で大きめの食器には飽き飽きさせられる。
確かに何を盛ってもそれなりに合っているようだが、言葉を
返せばどれも合ってないということだ。
さらに穿った見方をして店側に立てば、欠けたり割れたり
しがちな営業用食器を1枚づつ補充できるとなれば、利益的
にメリットがある事も理解できる。
しかしそれでいいのか?
日本人の食文化はもっと高度なものであったはずだ。
食材と食器を料理人の感性と季節を生かして取り合わせ
舌で味わうまでに視覚で楽しむ文化があったはずだ。
北大路魯山人が目指したものは料理を美味しく食べるため
に自ら焼物を考案することだった。
贅沢な要求だということは重々承知しているが、薄っぺらな
合理性の中で繊細な美意識が崩れていくことを嘆いている。
そもそも日本の陶磁器の発展は茶道の普及と料理の隆盛に
支えられてきた事実を忘れてはならない。
文化が衰退していくのを時代のせいにするのは簡単だが、
深い贅沢の中に高度な美を見出すことを怠れば日本人の
文化力は低下する。
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