歌舞伎と「きもの」
音羽屋(尾上菊五郎)さんの長男菊之助さんと
播磨屋(中村吉右衛門)さん四女瓔子さんの
結婚披露宴に招待を受けホテルオオクラに向う。
播磨屋さんには30年にわたるご贔屓を頂き今宴で着用の打掛も制作させていただいたご縁で高い席を用意いただき恐縮している。
梨園の人々を初め豪華な顔ぶれの参列者は普段テレビで拝見する方々ばかりで眩いばかりの華やかさであった。
歴史的にみて歌舞伎界と「きもの」界は数100年前から深い繋がりを持ってきた。
調べてみると
江戸時代後期に千両役者と呼ばれた3代目尾上菊五郎や
7代目市川團十郎などは本当に1000両(現貨8000万円)の給金で座元と契約していたと記されている。
衣装は現在殆どが松竹衣装のものが使われているが
往時は自前であり金に意図目をつけない豪華な衣装が
庶民の憧れであったという。
現在でも役者に纏わる言葉として「市松」(佐野川市松)や帯の「吉弥結び」(上村吉弥)、柿色の「團十郎茶」などが使われている。
私が産まれた時、祖父が2代目猿之助に似ていると喜んだそうで我々庶民の生活に歌舞伎がドップリと根をおろして居た証となっている。
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