「芹沢硑介」展を観て

芹沢といえば民藝という印象が強い。



では民藝とは?と自問すると答えに窮する。


そもそも柳宗悦が提唱した民藝運動は何を好しとするかと言えば「作為のない無邪気」さこそ最良とする。


しかしそれを「」として認めるのは如何なものか。


作為の無い物を作品と呼ぶこと自体が矛盾だと思う。


桃山時代朝鮮半島で焼かれた野趣味溢れる一連の茶陶を
民藝とは呼ばない


明らかに作為が見られるが完成度が高く、民藝を装った
工芸品である。


民藝の「」は無作為の作り手
工藝の「」は職人という意味で区別されるのであろうが。


民藝には「」は相応しくない、
時代を経ていく中で備わっていくものだと理解している。


千利休は花を生けるコツは「花は野にあるように」と教える。

作為と無作為の妙を知るに相応しい言葉である。



芹沢の作品は美しい…


従って彼の作品は民藝ではないと思った。




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