江戸風俗における「きもの」考


江戸時代は、士農工商身分制度による管理統制社会
あったが遊廓における花魁はある種特別視されていた。


特に江戸中期以降、商家の経済力が増すにつれ
豪華な衣装を身に纏う女性が華美禁止の対象になる始末。


浪花淀屋辰五郎などは、その華美な暮らし振りゆえに
闕所家財没収の憂き目にあう話は有名である。


しかし花魁別格とされ
華やかな衣装を身にまとうことがゆるされた。


現存する小袖類にもその類いものが多く、きもの文化に
与えた影響は決して小さくはない。


江戸吉原京都島原は特に有名な遊廓であり
京の豪商、灰屋紹益と浮名を流した吉野太夫の話は
後世まで語り草となっている。


現在の京都では上七軒祗園、先斗町、宮川町など
五つの遊廓が現存するが、
中で働く女性たちの環境はずいぶん変わった


は売らて来れば年期があけるまで大門から出られず、
客を拒む事もご法度で、故に遊廓は苦界と呼ばれた。


現在ではポイっと辞めてしまっても文句は言えない。


世の中が豊かになるに連れて、
女性の人格が重んじられるようになったということか。





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