夏、単衣のきもの
六月一日は現代の「衣替え」の日、
わが家でも暖簾を木綿から麻へ、
建具を襖絵から「よしず」へと一斉に替える。
「よしず」から射し込む日の光は透過性の高い陰影を醸し出し、洗いざらしの生成りの麻は目にも涼やかである。
こうして働く人間も自然の移ろいを体感するのである。
以前は 六月一日から袷のきものが単衣に、
帯が絽、紗の夏物へ、襦袢の襟がが塩瀬から絽へと替わり
四季の移ろいをドラスティックに感じるのが当然とされてきた。
しかし昨今と言えば気温が不順であるであることを理由に正確に衣替えをする風習も希薄になっている。
合理的といえばそれまでだ。
空調が行き届いた住環境において
人は季節の移ろいに鈍感を装える。
さらに私にも責任の一端があるのだが、以前にはなかった生地を作り出すと夏用か冬用か断じるのが難しい。
以前は絽、紗しかなかった夏生地は作り手としては飽き飽きしてしまっている。
きものの「決まり事」といっても新しく出現した生地には対応できないのであるから、自分で決めるか専門家の意見を参考にするしかないのである。
夏のきものを着ても決して涼しくはない。
涼しく他者に見せ清涼感を与えるのが主眼であった。
何時からか自分が涼しいかどうか、と主体が変わってしまったから夏のきものは敬遠される。
消費者の気持ちは理解できるだけに私としては複雑である。
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