色の話
クリス ボッティの「男の色気」について書いたが、
今回も「色」の話。
といっても艶話ではなく「色の名前」のこと。
「この色は何という色ですか?」と尋ねられる、やむなく
「朽葉色です」とか「藍鼠です」と答えるのだが本当のところ色に名前など付けるのは作り手としては意味がないと思っている。
外来語が定着した現代では「桃色」よりも「ピンク」と
言ったほうがピンとくる。
特に日本人が名付けた色の名称は曖昧なものが多い。
たとえば「朽葉色」。
葉の種類や季節によって違ってくるのだから茶系統だとわかってもこれが正真正銘の「朽葉色」と言えるものはなく、実にファジィーな表現と言わざるを得ない。
一方、欧米では鉱物にたとえることが多く
「エメラルドグリーン」や「ターコイズブルー」など
安定した物質を基準として表示する。
色を厳密に特定するには欧米式が優っているに違いないが、
日本式のファジィーな表現は魅力的だ。
万葉の時代には色の区別は「黒」「白」「青」「赤」の四つしかなかったという。
「青によし…」という奈良の都にかかる枕詞の青は厳密にいえば
「緑」のはずである。
平安時代になると「延喜式」「衣服令」とよばれる服飾に関する定めが制定されると色と官位が不可分なものとなり明治時代まで約束事として守られてきた。
江戸時代を通じて身分制度と一体となって進化してきた「きもの」文化も明治時代以降、誰でもが自由に色、柄を楽しめるようになったことは喜ぶべきとである。
昨今では「きもの」姿が即フォーマルと見られ、家紋の存在も単なる飾りと見られがちである。
日本の伝統文化の中で育まれてきた「家」を重んじる心や「きもの」のしきたりが崩れ去るのを傍観していいのか考えさせられる。
「萌黄」「縹」「灰桜」など平安文学を彷彿とさせる色の名称が生き生きとした響きをもって使われる時代が再び来ることを祈る。
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