深い愛
人は愛がない世界には生きていけない。
それが人と人との愛であろうとペットや植物への愛でも同じだ。
愛し愛されていると感じるから自分も生きていける。
とりわけ深いものは母と子供の愛情、母の分身である子供への愛情は無条件であるはずだ。
一方、父親はあくまでも母親を介した父と子であり、親子だと信じているから愛を注げるがDNAを調べなければ明確にはならないのが真実だ。
以前ある人生の先輩から男にも女にも越えなければならない
試練があって
「女はお産、男は戦争」
と聞かされたことがある。
「女は今でもお産をするから一人前になるが、男は戦争がないから、いつまでたっても男になれない」と。
まさに卓見。
しかし断っておくと決して戦争を肯定するのではない。
わたしが経験した試練といえば中学、高校、大学の受験戦争だけである。
確かに「団塊の世代」と呼ばれ競争率は高かったが、それとて負けたとしても命を取られ様な事なく他の学校へ行けばよいのだから、本当の戦争のように命のやり取りをしたわけではない。
「平和ボケ」という言葉があるが人口に膾炙されるようになって久しいが、男がこの平和な時代に男を磨くのは難しくなっているように思える。
かく申す私が、
ショックを受ければ、くよくよする情けない62歳である。
なぜこんなことを書くかというと
最近「深い愛」や「齋藤貞一郎の人生」について考えることが多いからだ。
その原因は加齢による孤独感か、それとも秋風が急に冷たくなったせいか(苦笑)。
しかし、これが人生だ。
俗世間で生きていくということは、こういうことなのだと気持を取り直して一日一日を大切にしたいものである。
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