61回目の京都展示会を控えて


(大正年間)
昭和24年から始めた「ぎをん店」での展示会も今年で61回目を迎える。
商いは江戸時代、天保10年前後の創業だが明治、大正までは
数件の御贔屓だけを対象にして商売を続けてきたらしい。


贔屓の御大家が没落したり服装が洋風化するなどで昭和以降は
広く浅く顧客を得るがため展示会を始めたと聞いている。


第二次世界大戦直後は敗戦の混乱の中、
「絹1尺」も売れない時代であったと父からよく聞かされたことを思い出す。


昭和も30年頃ともなれば生活は改善し「きもの」の需要も回復したらしい。

40年代は「わが代の春」の時代、業界が急速に拡大した時代だった。

私が先代から七代目として家督を受け継いだのは、
およそ25年前。

制作を担当するのが当主の務めであるので自分なりに子飼いの職人たちと相談しながら制作を現在も続けている。


最大の悩みは、
柄がバッティングしないよう新柄を作り出していく作業だ。


人間の好みも能力も自ずと限界があるのだから、
どうしても気に入ったものを作りたくなる。


そういえば尾形光琳も梅をモチーフにした作品が多い。
きっと彼も梅が好きだったのだろう。


私の場合、美術書古裂を観たり自然観察をしたりしてヒントを得ることになる。
まさに「産みの苦しみ」だがこの仕事が「好き」なので続けられた。

(現在の陳列会)


いまの時期は
展示会に向けて作ってきた商品の総仕上げである。
そして会場で一堂に展示した商品を一つ一つ自己評価を下す
ことになる。
期末試験のあと正答表をもらって自己採点する学生と同じ気分である。


果たして今年は何点取れることか。



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