三度目の中尊寺
仙台まで行くついでに、平泉まで足を伸ばしてみた。
10年前、最初に寺宝の釈迦如来と2体の薬師如来を拝見したときの迫力が忘れられずにいる。
金色堂の圧倒的な荘厳と雅な美しさは京都で私が見てきたものをはるかに凌駕したものだと思う。
平安時代の建築物は京都でも宇治の平等院、清水寺の山門の
2例だけであったか。
今回、金色堂ではっきり意識できたのは12世紀初頭の装飾に
天平、飛鳥時代の美意識と技が息づいていることを…。
正倉院の香りが約400年の時代を経ても芳しく満ちていた。
私は平安文化こそ日本美術史のうえで至高の時代であったと
確信しているが、残念ながら遺例があまりにも少ない。
もう1つ、平泉に心を魅かれる理由が解った。
それは中尊寺とそれ以外の周辺との文化的落差があまりにも際立っているところだ。
広大な奥州原野の真ん中にキラッと輝くまさに金剛石。
今更ながら藤原清衡の権勢が偲ばれる。