「きもの」と器
「きもの」と器を比較して考えることがある。
一見なんの繋がりもなさそうだがよく考えてみると、両者とも
中身を引き立たせることが大きな役割であることに気がつく。
中身とは、
「きもの」にとっては「 人 」
「 器 」にとっては「料理」
ということだ。
この実用の美を工芸と称する。
着る女性を少しでも美しく見せたいと思う気持ちが、
「きもの」作りの原点であり、最終目的であると信じている。
たしか魯山人も同じ趣旨のことを言っていたと記憶している。
だから私は顔の近くに派手な模様は付けたくないし、
襟は真っ白の凛としたものを付けてほしいと願っている。
料理の色は
焼き魚の茶系もあれば筍の黄系、人参の赤系もあるが
「きもの」の場合、
日本人の肌は白かベージュに限られる。
したがって「顔映り」のいいブルーや鳩羽色が自ずと人気が
あるのだと思う。
しかし最近私は「きもの」の為の「きもの」、
主役不在であっても欲しいと思ってもらえる!そんな
「きもの」を創りたいとずっと考えている。
乾山の作品には主張の強いものが数多くみかけられるが、
本当に何かを盛るつもりで創ったのか本人に聞いてみたい。
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